2026-05-28

第3回|転職市場の給与情報はなぜ上振れするのか

前回は、「新旧社員の給与格差が縮まるとき~「賃金圧縮」という賃金管理の重要論点~」というテーマを整理しました。まだお読みでない方、また読み返したい方はこちらからどうぞ。


目的によって、使うべきデータが変わる

転職サイトの求人票、口コミサイト、人材サービス各社が発行するサラリーガイドなどに集積された給与情報。ベトナムで給与の相場感を把握しようとするとき、こうした転職市場に由来するデータは、最もアクセスしやすい情報源のひとつです。

採用時の給与オファーの参考にしたり、候補者との交渉感覚をつかんだりするうえで、これらの情報が有用であることは間違いありません。

ただし、転職市場のデータには「転職市場の相場感を反映したデータ」としての固有の特性があります。社内の給与レンジ設計や昇給幅の判断に活用する場合、そのデータがどのような母集団をもとで集計されているのかを理解したうえで使うことが、給与判断の精度につながります。


転職市場のデータが持つ特性

転職市場に由来するデータは概して高めの水準を示しやすいものです。その背景には、3つの構造的な理由があります。

1つ目は、母集団が転職層に限られていることです。ある時点で転職市場に参加しているのは、全労働者の一部です。ベトナムの離職率は概ね10〜20%程度とされており、言い換えれば80%以上の社員は特定の企業に在職し続けている定着層です。転職市場のデータは、より高い処遇を求めて動いている層の相場感を映しがちであり、定着層の実際の給与水準は反映されにくい構造にあります。

2つ目は、口コミサイトや友人・知人経由の給与情報、および求職者の希望給与や申告給与をもとに集計された場合のデータが持つ特性です。こうした情報源に立脚する場合、申告する側には次の交渉を有利に進めたいという心理が自然に働きやすくなります。また、賞与や手当を含めた総支給額をベース給与と混同しがちであることも指摘されており、グローバルの報酬管理の研究においても、自己申告の給与データには過大評価の傾向があることが広く認知されています。

3つ目は、求人票を集計した場合のデータが持つ構造的な特性です。採用候補者の幅を広く確保するために、求人票では「もし非常に優れた人材であればここまで出せる」という上限を含む広いレンジが提示されることが一般的です。実際にはMin値付近での採用を想定していることが多かったとしても、Min値〜Max値のちょうど中間値を「標準的な市場水準」とみなし、実態よりも高いMax値に引き寄せられた形で相場感が上振れて認識されやすくなります。


給与判断の精度が下がりやすい場面

こうした特性を理解せずに転職市場のデータを給与管理の基準として援用すると、給与判断の精度に影響が出やすい場面があります。

ひとつは、更新後の給与レンジを不必要に高めにしてしまうケースです。転職市場の数字をそのまま「市場の標準」として給与レンジの更新に用いると、実際の標準的な給与水準よりも全体的に高いレンジを設定することになりかねません。第2回で取り上げた給与圧縮(Pay Compression)が生じ、社内の賃金バランスが不必要に崩れたり、採用コストの不要な増加につながることもあります。

もうひとつは、給与交渉の場面です。「サラリーガイドや知人の給与水準と比べると、自分の給与水準は低い」という形で交渉を持ちかけられることは、どの職場でも起こりえます。このとき企業側が転職市場のデータしか持っていなければ、その数字に対して別途の根拠ある視点で応じることが難しくなります。転職層だけでなく定着層も含む実支給ベースのデータを持っていることで、社員の主張に冷静に向き合い、より現実に即した給与判断ができるようになります。


何を給与判断の拠り所にするか

転職市場のデータだけではなく、企業の実際の給与支給データをもとに集計された給与調査の結果を参照することが、社内の給与管理においては有用です。

こうした調査では、参加企業から実際に社員へ支払われた給与のデータを収集し、統計的に集計します。その結果として、「参加企業のうち下位の25%はこの水準」「ちょうど中央はこの水準」「上位25%はこの水準」という形で、市場の給与分布がより精緻に可視化されます。これにより、自社の給与水準が市場全体の中でどの位置にあるかをより幅広い労働市場の実態に基づき客観的に把握できます。

信頼性の高い給与データを選ぶうえでは、一般的には、以下のような観点を重視して選定するとよいとされています。

  • 実際の支給実績に基づいていること
    求人情報や希望年収ではなく、企業が実際に支払った給与が母集団であること
  • 独立した第三者機関が収集・検証していること
    回答企業が直接集計するのではなく、調査機関が収集・精査を行い、異常値の確認や回答企業間の突合性チェックなどの検証プロセスが存在することが大事
  • 十分な参加企業数とサンプルの厚みがあること
    データ点数が少ない統計は安定しにくく、信頼性が下がる
  • 自社と近い業種・地域・規模の企業が母集団に含まれていること
    異なる業種や地域の相場を自社に当てはめても、実態とかけ離れた結論になりやすい
  • 調査手法やデータの根拠に経営者や現場のマネジャーが納得感をもてること
    社内稟議などの実務を進める上では、この点がとても大事

最新のベトナム給与相場をデータで知るために、ぜひ給与調査にご参加ください。

ICONICが実施するベトナム給与調査2026は、参加企業が実際に従業員へ支払っている給与データを直接収集し、統計的に集計しています。転職層だけでなく定着層も含む幅広い企業の実支給実績をもとにした相場感を把握できる点で、本稿でお伝えした冷静な給与判断の根拠として活用いただけます。参加企業はサマリーデータを無料で閲覧可能です。ぜひご参加をご検討ください。

この調査に参加する

📍次回予告(第4回)

「同業他社」だけが競合ではない ~同じ社内でも、人材市場の競合は職層や職種によって違う~

次回は、給与水準を比較する相手を「同業他社」に絞ると、見落としてしまう競争の実態があることをとりあげます。職層や職種によっては業界を越えた人材獲得競争が起きており、自社の本当の給与競争力を正しく測るためには業界横断のデータが必要になる場面があります。どの職種・職層がどのような競争環境にさらされやすいのかを整理しながら、それを踏まえた給与ベンチマークのポイントについて解説します。

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横浜国立大学卒業後、経営コンサルティング企業で中小企業の新規事業支援を担当。2006年よりJICAウガンダで職業訓練校を調査し、2007年にベトナムの三井住友銀行ホーチミン支店で法人営業を担当。2010年からICONICベトナム法人にて組織人事コンサルティング事業の立ち上げに従事し、支援した人事制度構築プロジェクトは150件超。2023年、ICONICベトナム法人のGeneral Directorに就任。賃金管理士。ISO30414リードコンサルタント/アセッサー。

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