2026-06-05

第4回|「同業他社」だけが競合ではない

前回は、「転職市場の給与情報はなぜ上振れするのか~確かな給与判断の根拠をどう持つか~」というテーマを整理しました。まだお読みでない方、また読み返したい方はこちらからどうぞ。


「同業他社と横並び」という前提を疑う

給与水準の妥当性を検討するとき、多くの企業が最初に参照するのは「同業他社の水準」です。しかし、「同業他社並みの給与を払っていれば人材は確保できる」という前提が通用しない場面があります。職種と職層の組み合わせによっては、まったく異なる業界の企業が実質的な採用競合になっており、同業他社のみを参照するだけでは給与競争力を見誤ることがあります。

同じ会社の中でも、職層や職種によって「誰と競っているか」が異なる。この視点が、給与ベンチマークの精度を高めるうえで重要です。


職層ごとに変わる、競合の範囲

  • ワーカー層:競合の主軸は「地域」

ワーカー層の採用において最も強く働く競合軸は「地域」です。自力通勤を前提とするため、工場周辺に居住する人材が採用対象の中心となり、同じエリアの工場全体が採用競争の相手になりえます。

ベトナムの主要工業団地には業種の異なる工場が隣接して立地しており、電子・自動車・食品・繊維・化学といった業種の違いを超えて、同じ地域の労働者を対象に採用活動が行われています。地域別最低賃金の金額が給与水準の起点となり、その上での地域内競争が実際の給与水準を動かします。同業他社よりも「同じエリアの全業種を含む水準」を把握することが、実態に近い判断につながります。

  • バックオフィス職層:競合の主軸は「業界横断」

人事・経理・総務・貿易事務といったバックオフィス職種はスキルの業界依存度が低く、異業種間でポータブルに機能します。製造業の工場に勤めるスタッフがサービス業や商社に転職するといった動きは珍しくなく、このような職種の採用競合は業種を問わず広い範囲に及びます。地理的にも、市内から工場へ通勤バスを仕立てているケースが多く、競合範囲はワーカー層よりも広い通勤圏域全体に拡大します。

  • エンジニア職層:競合範囲は「スキルの業界依存度」による

エンジニア職については、職種の中身によって競合範囲が分かれます。設備保全(電気・機械系メンテナンス全般)や自動化・制御(PLCプログラミング・ロボット導入)などは、特定の業界や製品に縛られにくいスキルであり、業界横断の競合環境にさらされています。特定メーカーの制御システムやロボットを扱っていたエンジニアは、電子機器工場から自動車部品メーカーへ、食品工場の包装ライン自動化担当から電子機器や消費財メーカーへといった移動が起きうり、業界経験よりも「どのメーカーの制御システムやロボットを扱えるか」が採用の中核要件になっています。

一方、業界や工程に固有の知識・技術が職務の根幹をなす職種は、競合の軸が業界内に絞られます。自動車のボディ溶接・プレス・塗装工程エンジニア、縫製品質の目利きや技術管理ができるアパレル系技術者、建設業の施工管理エンジニアなどがその例です。業界固有の規格・規制(医薬品のGMP、食品のHACCPなど)への対応が職務の中核となるQA/QC職も同様で、業界経験が価値の中核をなすため、同業内での採用競争が主流になります。  

  • 中間管理職層(課長・部長クラス):競合の主軸は「業界内」

この職層では、業界特有の商習慣・規制・顧客・サプライチェーンへの全般的な理解や、培ってきた業界内の人脈が職務遂行能力に直結することが多いです。「経営と現場をつなぐ」役割として業界知識と現場経験の両方が求められるため、転職市場でもこの職層は同業内での移動が多く、同業他社の管理職報酬水準が実態の競争圧力をよく反映しているといえるでしょう。

  • 上級幹部層(社長・役員クラス):理論と現実のギャップに注意

グローバルの報酬管理では、組織内にポストが1つしかないような上級幹部職の報酬は、業界よりも売上をはじめとする企業規模(社員数や資産総額なども補足的に参照される)との相関が強いとされています。企業経営を担う能力に対して支払われるものとして、業界横断・企業規模軸でのベンチマークが基本とされます。

ただし、現在のベトナムの労働市場に照らすと、少し異なる実態があるといえるかと思います。ベトナムでは業界経験を問わないプロ経営者の登用はあまり一般的とはいえず、業界を熟知した人材や生え抜き人材から抜擢されるケースが実態としてほとんどといえるでしょう。グローバルでの一般的な考え方として企業規模軸を知っておくことは有益ですが、現在のベトナムにおける上級幹部層のベンチマークは、同業界内の実態データを中心に据えつつ、今後の市場変化を念頭に置いておくというスタンスが現実的です。


給与ベンチマークのポイント

  • 職層によってベンチマークの「参照範囲」を変えること。

ワーカーは地域軸・業界横断、バックオフィス職は業界横断、エンジニア職はスキルの業界依存度による、管理職以上は業界内、という整理を職層ごとに持っておくことが判断の精度を高めます。

  • 使用する給与調査の参加企業構成を確認すること。

業界横断の競合にさらされている職層には幅広い業種が参加する調査が有効であり、管理職層には自社と近い業種の参加企業が十分に含まれているかが重要です。

  • 競合の範囲は変化する、という前提を持つこと。

職種の名称が変わらなくても、世の中の技術動向の変化によって競合範囲が移行することがあります。製造業では、デジタル化の進展に伴い製造工程管理や生産技術系統の職種に自動化スキルが求められるようになり、同業内採用が主流だったポストに異業種からのエンジニアが参入しやすくなっています。製造業以外でも、デジタルマーケティング職はかつてはIT・ウェブ企業に多い職種でしたが、今や製造業・小売・金融・不動産を問わず必要とされ業界横断化しています。物流業界において在庫・配送管理のデジタル化の職務についていた人材が、EC拡大に伴い物流機能を自社内に持ち始めた小売業や製造業からも採用対象として求められるようになったりもしています。このように、「競合」の定義は、世の中の環境変化に応じて、定期的に見直す視点が求められます。


最新のベトナム給与相場をデータで知るために、ぜひ給与調査にご参加ください。

ICONICが実施するベトナム給与調査2026は、幅広い業種・職種の実支給データをベトナム全土から収集しています。業種横断で比較が必要な職層にも、業界内比較や地域内比較が有効な職層にも対応できるデータ構成となっており、競争環境に応じた柔軟な給与水準の把握にご活用いただけます。参加企業はサマリーデータを無料で閲覧可能です。ぜひご参加をご検討ください。

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📍次回予告(第5回)

「基本給・手当・賞与の配分をどう決めるか ~ ベトナムでのPay Mix設計論 ~

次回は、総額人件費管理に影響を与える重要論点である「Pay Mix(報酬構成)」を取り上げます。同じ総額人件費を支払っていても、基本給・手当・賞与の比率をどう組むかによって、採用競争力や社員の定着感、そして会社側のコストコントロールのしやすさは大きく変わります。ベトナムの労働慣行や法制度の特性を踏まえながら、Pay Mix(報酬構成)をどのような考え方で設計すべきかを整理します。 

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横浜国立大学卒業後、経営コンサルティング企業で中小企業の新規事業支援を担当。2006年よりJICAウガンダで職業訓練校を調査し、2007年にベトナムの三井住友銀行ホーチミン支店で法人営業を担当。2010年からICONICベトナム法人にて組織人事コンサルティング事業の立ち上げに従事し、支援した人事制度構築プロジェクトは150件超。2023年、ICONICベトナム法人のGeneral Directorに就任。賃金管理士。ISO30414リードコンサルタント/アセッサー。

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